人を変え、環境を変えていくデジタル技術

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人を変え、環境を変えていくデジタル技術

■身近になった高度なIT技術

 コンピューターはかつて文字通り「計算機」であって数字の計算をするために作られたものでしたが、現在、何にコンピューターを使っているかと聞かれたら皆さんは何と答えるでしょうか?ウェブへのアクセスや動画の視聴などが多いのかと思いますが、ひょっとするとCGや曲の作成という人もいるかもしれません。が、数値計算をしているという人は殆どいないでしょう(多分…)。コンピューターとして思い浮かべるものもノートPCやタブレットPCではないでしょうか?我々のころは大学の計算機センターにおいてあったメインフレームと呼ばれる大型のものや、個人でも購入できるデスクトップのPCがようやく出始めたころでした(年寄りの昔話)。AI(人工知能)やVR(仮想現実官)、AR(拡張現実感)といった技術はかつて大学や企業の研究室における研究テーマでしたが、いまでは、AIスピーカーや将棋ソフト、ポケモンGOなどのスマートフォンのアプリに利用されるくらい身近なものになり、一般の人もそうした用語に馴染みがあるようになりました。VR技術はゲーム機やHMD(ヘッドマウントディスプレイ)のアプリとして個人でも遊べるようになりましたし、アミューズメント施設で提供されています。それだけではなく、無人の店舗や、チームラボの作品やコンサートの演出などの芸術的な表現手段、テニスのボールの判定などにもIT技術が用いられています。こうした高度なIT技術が今では一般化し、個人的な用途で用いられるようになっています。

■透明化するコンピューター

 コンピューターの性能は凄い速度で向上してきました。世の中にはスーパーコンピューター(スパコン)と呼ばれるものがあります。それぞれの時代において最高の計算性能を持つ一群のコンピューターがそのように呼ばれます。現在、世界で最も高速に計算が行えるスーパーコンピューターは日本の「富岳」と呼ばれるコンピューターです。ところで、1994年におけるスパコンの性能は140 GFlopsから170 GFlopsというものでした(Flops というのは計算性能の単位だと考えてください。Gはギガです)。ところで、2019年のノートPC(MacBook Pro)の性能は 150 GFlopsです。なんと現在、皆さんが利用しているようなノートPCは、メディア学部が生まれる5年前のスーパーコンピューター並の性能を有しているのです。そればかりか、スマートフォン(iPhone 11Pro)のグラフィックスのためのCPU (GPU)の性能は 1 TFlopsとのことで、その当時のスパコンの性能を遥かに凌駕しています。ちなみに富岳の性能は 415 PFlops と言われていて、さすがに同時代のスパコンはただものではないですね(Pはペタで、Gの上のT(テラ)のさらに上の値です)。こうした高い性能は、人の働きかけに即時に反応したり美麗なグラフィックを提供することや、先に述べたような高度な技術を組み込むために要求されているのです。
 一方で、コンピューターの操作方法に目を向けると、ゲーム機のためのセンサーとしてKinectというデバイスが登場しました。これによって、ボウリングやダンスなどのゲームをコントローラーで操作するのではなく、実際にそれらを行うときのように体を動かしてできるようになりました。その後、コンピューターからKinectを利用することができるようになって、人の動作を検知することによって反応する仕組みを利用したシステムやアプリケーションを作成することが行われるようになりました。先に挙げたチームラボの作品のように、人が近づいたり触ったりすることに反応するアート的な作品もこうした仕組みで作られています。また、最近ではAIスピーカーに音声で何かを指示することができます。時間や天気などの情報を聞いたりするだけではなく、家電のコントロールができたりもします。さて、こうした使い方ではその場にあるコンピューターに対峙してキーボードやマウスで操作したり、タッチパネルをタップすることで操作しているのではないですね。動作したり話しかけたりすることによってデジタル機能を利用しているのです。こうした他との関わり方は、人が他人と関わったり道具を使うときの一般的なやりかたと同じです。したがって、機能を利用している人はコンピューターの存在を特別に意識していないこともあるかもしれません。このような、装置としてのコンピューターが表に視えない使い方が世の中で多くなっています。
 こうした高性能化と使い方の変化は、コンピューターが実現することを大きく変えています。まず、その種類は非常に多様化していて、オフィスツールのような仕事以外のものが多くなっています。また、いかにもコンピューターですというような装置ではなく、スマートフォンやタブレットPCのようなものから、スマートウォッチ、AIスピーカー等の様々な形態のものが利用の多くを占めてきています。アプリを「操作」することも相変わらず続くでしょうが、「操作」せずにいつのまにか利用している機能も日常の生活で多く存在するようになっています。コンピューターが「透明化」しているのです。

■環境化するコンピューター

 さて、このさきのIT技術・デジタル技術はどのようになっていくでしょうか。ここまで、コンピューターができる処理を利用していた時代から、人がしたいことをコンピューターがサポートして行うように変化してきたと思います。人がしたいことの種類は膨大ですから多様な使い方が次々と考えられていくでしょう。「人がしたいこと」を主体においたときには、「何をするか」ということだけではなく「どのようにするか」をデザインすることが重要な課題です。例えば、絵を書くときにはマウスではなく筆を使って書きたいでしょう。そういうことを追求すると、多くのことでコンピューターを透明化させるような方向性は拡大していくのではないかと思います。
 その他にはどのような進歩があるでしょうか?現在は用途として、あらかじめアプリとして用意されているものしか利用できません。それは当たり前のことですが、個人毎にしたいことの内容は細かく異なっているでしょう。対応したアプリがない場合はどうすればいいでしょうか?コンピューターが作られた初期の頃には、コンピューターにさせる仕事は利用する人がプログラムを用意しなければいけませんでした。その後、アプリケーションソフトを売る企業が現れ、今日のように希望のアプリを探して利用するような形態になりました。最近では個人がスマホのアプリを開発するのも普通のことです。将来にはもっと進んで、必要なことのためにその場でプログラミングを行ってコンピューターを利用するようなことになるかもしれません。そしてそうなったときの「プログラミング」とは、現在のプログラミングのように文字で記述するようなものとは全く異なった概念になるのではと想像します。行いたいことの対象を順番に触れてその関連性を指定するとか、行動の履歴を組み合わせるようなことをするとか、プログラミングの行為自体が人間の理解の仕方に沿ったものになっていくのではないかと思っています。
 これらのことをまとめると、将来にはコンピューターが今のような個体としての装置から、人の生活環境を構成する要素の一部となって一体化するようなことへと進むのではないでしょうか。スマホをいつも持ち歩かなくても、そうした機能が常に行動している場に備えられているような環境です。そうしたものの実現は、技術的な面だけではなく、人間の行動や社会的な課題の理解、機能の提供方法などを統合してデザインする力が必要になるはずです。

■高校生の皆さんへ

 高校や大学のときは自分がやりたいと思う分野への気持ちが強く、他の分野を学ぶ時間や努力が無駄なように思うことがあるかもしれません。大学に進学する理由として「幅広い分野について学べるから」と答える人は多いですが、入学後はあまりそのように思っていなさそうにも見えます。しかしながら、多くのことを学び広い教養は、分野に限らず斬新なアイデアを創り出す力になるでしょう。アニメの制作のことだけしか知らなければ、素晴らしい作品のアイデアは思いつけないですよね?やりたいことを学ぶのはもちろん基本として大切ですが、その分野で抜きん出た存在になるためにも一見関係の無さそうなものも学んでください。また、そうして得た知識はそれを運用することができて初めて意味をなすと思います。その力は実践することと自分で考えることによって養われます。メディア学部ではそれらの実現のためのプログラムが用意されていますが、意識してそれらを有効に活用してくれることを期待しています。

このWebページでは、メディア技術コースの太田先生にお話をうかがいました。

教員プロフィール
メディア技術コース 太田 高志 教授

■大学の学部では物理を専攻しておりました。今思うと気の迷いというか若かったからというか…。その後、大学院ではコンピューターで数値計算をしておりました。今の専門とは全く違いますね。その後、企業ではCG関連やグリッド・コンピューティングについての仕事をし、国の研究所で並列計算というものを研究テーマとしたりして現在に至っています。メディア学部に来てからはコンピューターの利用方法のデザインについて研究を行っています。コンピューターの利用を対象にするという点では一貫していたと思います。同じテーマを追求しておらず、フラフラしていて信用ならない感じを醸し出しているかもしれませんが、異なる分野のことから連想を得ることが多くあり、多様なことに携わってきたことは良かったと思っています。現在はまた、新しいテーマにも取り組みたいと思って模索中です。