REC.001 chapter.2「ミュージックステーションの25年の歴史」
season 1
REC.001 chapter.2
ミュージックステーションの25年の歴史
―大学時代もライブにはよく行っていたのですか?
山本:これがまったく行っていません。テレキャスターを携えて上京したのですが、どういうわけかボート部に入り、4年間はそちらに熱中していました。
―その後、テレビ朝日に入社されて、制作局配属。「ミュージックステーション」を立ち上げたのが1986年(昭和61年)。当時、音楽番組は「ベストテン」、「夜のヒットスタジオ」、「トップテン」などライバルが多かったですね。
山本:「ベストテン」などが20%から30%近い視聴率をとっているなかで、初回の数字は8%でした。大変ななかで船出をしたわけです。
―あの頃は、吉幾三の「雪国」が流行っていて、どの音楽番組にも出ていたことを覚えています。
山本:まだCDのないレコード盤の時代です。音楽にとって、テレビはとても力を持っていました。どの番組でもポップス、演歌となんでも取り入れていました。「ミュージックステーション」も始めはそうだったのですが、しかし、なかなか数字が出ず、悩んだ結果、子どもから十代向けの番組に方向転換しました。
―でも視聴率的には、子どもから十代向けに特化すると上がらないのではないですか?
山本:そうですね。人数構成的にはそんなに高くなりませんが、最初から20%から30%を狙うのではなく、あくまで音楽の一部を紹介していこうと、もともと低いところから始ったので、そういう発想に至りました。
―「ミュージックステーション」の時代のエポックを振り返りたいと思います。これまで1300組ぐらいアーティストが出演していますので、ほんの一部で、誠に個人的ですが。
80年代
光GENIJIがレギュラー出演(88年~92年で234回の出演)
宮沢りえ歌手デビュー(89年)
90年代
植木等「スーダラ節」を歌う(90年)
チェッカーズの解散発表(92年)
プリンセスプリンセスの解散発表(95年)
キッス出演(96年)
エアロスミス出演(97年)
大黒摩季TV初出演で実存を示す(97年)
宇多田ヒカルTV初出演(99年)
‘00年代
SPEEDの解散(00年)
視聴者リクエスト「ラブソングBEST100」(02年スタート、05年から
「BEST111」に)
ロシアのt.A.T.uのドタキャン(03年)
ZONEの解散(05年)
着うたランキングの発表(05年スタート)
30周年記念特番まるごとサザンスペシャル(08年)
‘10年代
放送開始1000回目(10年)
番組開始26年目、現在1096回(12年9月14日)
chapter.2 ミュージックステーションの25年の歴史
chapter.3 生放送にこだわるわけ
REC.001 山本たかおさん
株式会社テレビ朝日編成制作局 エグゼクティブプロデューサー
ミュージックステーション チーフプロデューサー
- REC.001 chapter 1-5 -
- chapter.1 年間140本のライブへ
- chapter.2 ミュージックステーションの25年の歴史
- chapter.3 生放送にこだわるわけ
- chapter.4 タモリさんの存在
- chapter.5 テレビ朝日ドリームフェスティバル