「人や土地の記憶を残すフロッタージュを、「LIFEworks」として生涯続けていきたい」
デザイン学部 酒百宏一 准教授
町の歴史や人の暮らしの痕跡を紙と色鉛筆で写し取り、残すことに取り組んでいる酒百先生。その活動は、個人的な作品制作にとどまらず、地域と連携したアートプロジェクトとしても展開されています。今回は、今、取り組んでいるプロジェクトや本学での教育について、お話いただきました。
■先生の作品について、お聞かせください。
フロッタージュという技法を使って、作品をつくっています。フロッタージュとは、子供の頃に誰でもしたことがあると思いますが、10円玉や葉っぱなど、凸凹したものの上に紙を載せて、それを鉛筆などでこすって、写し取るという技法です。私はそれを用いて、単にこすって下の形を写すだけでなく、そのものの色もそのまま再現するということをしています。足を運んだその場所で、ふと目に留まった、私なりに美しいと思ったものを、常に持ち歩いている150色の色鉛筆でフロッタージュして、作品をつくります。対象物は主に壁や柱、床、看板、道具など、町や人の痕跡としてあるものを写し取ることが多いですね。というのも私自身、そういう痕跡をひとつの記憶と捉えているからです。今、多くの町が開発によって変わり、古くからあったものが失われているので、少しでもフロッタージュでそういうものを残したいという思いがあるんです。そうした活動の一環で、昨年の7月から東京都荒川区の南千住という町で、地域の方と作品づくりを通して町の記憶を残していく「1000×10南千住 町の記憶PROJECT」に取り組んでいます。南千住は、常磐線の線路を挟んだ東西で、随分と町の様子が変わります。西側の三ノ輪の方は、都電が走る下町ですが、東側の汐入という地名だった場所は、一帯が再開発され、高層マンションが立ち並んでいます。新しい住民と古くからの住民が混在している町なのです。そこで、新旧両方の住民のみなさんが、このプロジェクトに参加することで、会話するきっかけや記憶を共有する場が持てればと思い、取り組んでいます。
■具体的に、このプロジェクトでは、どういうことをするのですか?
月に1度、参加者募集型のワークショップを開いて、南千住という場所のことを学びながら、みんなでフロッタージュをしています。南千住は古い町で、神社やお寺、橋などが結構あるので、そういうところをワークショップ会場にして、その場所の記憶を写していきます。フロッタージュする対象物は、神社などでは許可された範囲になりますが、基本的には参加者の自由です。「記憶」をひとつのテーマとしているので、その人が感じるその場所の記憶を自分なりに見つけてもらい、事前にこちらで選んだ10色の色鉛筆を使って、塗ってもらいます。フロッタージュは、誰でも簡単にできて、塗っていくと自動的に絵が浮かび上がってくるので、上手下手に関係なく、自分の感性の赴くままに作品を仕上げられるのが魅力です。でき上がった作品は、同じ場所を同じ色で塗っていても、それぞれにその人らしさが反映されてくるので、面白いですよ。
また、このプロジェクトでは、作品数1万枚を最終目標にしています。今のところ約6000枚集まったので、来秋には達成できるのではないかと思います。達成したら、1万枚を一堂に見せる機会をつくる予定です。私としては、作品をただワークショップで体験して終わるのではなく、集めた作品を何か地域にまつわる形で展示したいと思っているんです。南千住に人が集まり、賑わう“場”となるような、作品を見ると同時に、街を歩いてもらえるような機会を設けようと、今、考えているところです。
■このプロジェクトの始まりは何だったのですか?
これまでにも、こういうプロジェクトを各地で行ってきたのですが、2008~2009年にかけて新潟市で「Niigata水の記憶プロジェクト」を行ったんですね。新潟市は、今でこそ排水が整う普通の町ですが、その立地は信濃川と阿賀野川に挟まれ、海よりも土地が低い位置にあるため、戦後間もない頃は「地図にない湖」と呼ばれるほど、大雨のたびに水没する地域でした。実は新潟の町には、まだその痕跡がたくさん残っているので、昔の土地の記憶を呼び覚まそうということで、作品をつくったんです。それをたまたま南千住の床屋の方が見て、感動してくれて。急激に変化している南千住の町でも開催したいという依頼があって、プロジェクトが始まりました。
■先生がフロッタージュという技法で作品をつくるようになったきっかけとは?
もともとは、すごく大きな彫刻を手がけていたのですが、バイク事故の後遺症で、重いものを持てなくなったんです。そこから、そうなった自分でも何か作品をつくれないかと、手を動かしてドローイングやスケッチをしていたときに、それらが自分の存在証明のように感じられて。というのも私には事故当時の記憶がなく、そのときの自分が、すごくあやふやで曖昧な存在のように思えたんですね。ですから例えば、誰かにとって日記がひとつの存在証明であるように、私は私の描くものが存在の証で、そこに自分がいたという証明になると思ったんです。それで外に出て、対象物を実物大で写し、持ち帰ることができるフロッタージュをするようになりました。この技法は、直に対象物に触れて写し取れるので、そのものの感覚がダイレクトに伝わってくるという心地良さがあります。私は、この活動を生涯、続けていこうと決めています。ですからこれを自分の仕事という意味と、人の営みという意味も含めて、「LIFEworks」と呼んでいます。人が生きてきて、ずっと続いてきたもの、シミやキズなど、愛おしさが残る“人の仕事”を写し取っていきたいのです。
■では、授業での取り組みについてお聞かせください。
今、2年生対象の「感性演習Ⅱ 伝える」という授業を担当しています。デザインもアートと同様に、作品で社会に何かを伝えるわけですが、その何かが伝わらないとデザインとして、あるいは作品として成り立ちませんよね。ですから、単に自分が伝えるということだけでなく、より相手に伝わることを意識した作品づくりが大切になってきます。学生たちは、読み取ったり感じ取ったりすることには敏感ですが、逆にそれを伝える、表現するということは苦手なようです。そこでこの演習では、自分のメッセージを伝えることと、企画・提案で考えていることを伝えるという、2本立てで授業を進めています。
前者は「伝えるカタチ」と題して、“四季”をテーマに、紙を素材とした、触れることで伝わる作品づくりに取り組みます。四季というのは、随分、漠然としていて、人に伝えようとすると説明的になりがちです。桜が咲いて、新芽が出て新緑になって、それが枯れて、雪が降るというように。そういう説明の仕方ではなく、自分が感じたことをいかに、相手が面白がり、感動するように伝えるかということに挑戦してもらっています。
後者は、「蒲田+デザイン プロジェクト」と題して、キャンパスがある蒲田という地域の社会問題についてグループで話し合い、問題を解決するデザインを考えてもらっています。デザインというと、一般的には格好良い形やおしゃれな柄などを想像しがちですが、もっと身近な仕組みを考えることもデザインです。自分たちの身近な町を良くしていくことを通して、こういうデザインもあるということを知ってもらおうと、取り組んでいます。学生が提案したアイデアには、良いものがいくつもあります。例えば、自転車問題を扱ったもので、お金をかけて何かをつくるのではなく、市民の意識を変えることがデザインだと訴えるグループがあったり、民家の空きスペースを駐輪場として貸してもらう代わりに、借りた人はお手伝いをするという仕組みを考えたグループがあったりしました。私は、これを授業の中だけで完結させるのではなく、できる限り蒲田の人たちや行政の人たちに知ってもらう機会をつくりたいと思っています。学生たちが考えたアイデアが、そのまま活かされることはないにせよ、発想の柔軟さや斬新さはあります。そんなふうに大学と地域が結び付くことで、結果、蒲田が変わったとなれば、それは素晴らしいことですよね。
■最後に、学生にどんな人に育ってほしいとお考えですか?
やはり何のためにデザインがあるのか、自分が伝えたいことは、どうしたら伝わるのかを考えられる人になってほしいと思います。伝えることは手段で、相手に伝わることが目的です。それは、コミュニケーションの基礎である、相手を思いやることにも繋がっています。自分の伝えたい思いを「どう伝えれば良いか」を、じっくり考えてほしいです。
[2011年11月取材]
■デザイン学部 酒百宏一准教授個人ページ
http://www.sakao-lifeworks.com/
・次回は2月10日に配信予定です。
2011年12月9日掲出